日記 Diary

私の日記というよりも日々思うことを自由に書いておく「メモ」だと思って気楽にお読みくだされば幸いです。

2月13日(水) 「定期検診」良好、これからです!

2 13

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2013/02/13 9:09  RssIcon

昨日、6時前に前橋に向かい、3か月検診を受けてきました。「経過良好」「自転車は駄目です」と最後は釘を刺されましたが、一安心。そこで明日の「講演」に引き続いていくつか依頼が来ていますので少し動きを速めたいと思います。

とりあえず講演レジュメをこぴーしておきます。(長いですが、お許しください)

 

連合通信社「スポーツ指導と体罰──加害教師を産む教育システム」

     2013.2.14 森川 貞夫(市民スポーツ&文化研究所)

討論で深めたいこと

*なぜ、暴力/体罰教師はうまれるのか、そのメカニズム・システム

*学校・職場の民主主義にとって体育・スポーツ(教師・指導者)はどんな役割を果たしているのか

*「スポーツにおける暴力・体罰」をどうすればなくせるか

 

はじめに~私の大阪・教員時代の苦い思い出

大事な子どもの命を守り育てる体育教師をめざして体育教師として赴任

屈辱的な「体操」教師への評価(進学第一の同僚教師、保護者の見る「眼」)

教科の体育の授業は評価されず→いきおい「部活」がいきがいに

1.今なお減らない「体罰」教師(統計の数字は「氷山の一角」?)

「体罰に係る懲戒処分」(文科省、2011年度、総数404人)3

①    授業中 33%

②    部活動中 27%(実数101人、08年78人)

③    放課後・休み時間中 25%

④    その他 15%

(教科別ではおそらく体育教師が多いはず。資料1の表1参照)

直接に身体活動に係る機会が多い。「身体に直接ふれる」(実技指導の補助など)加えて「身体で覚える」「スキンシップ」など、スポーツに内在する問題点が多い。

したがって他者の批判が入りにくい(閉鎖性、密室性、個人差など)。

しかし、「体罰による指導は稚拙」「指導力不足」、「勝利至上主義の弊害」という「指

摘・批判」だけで問題は解決するのか。

そこに欠けている視点はないのか?

 

2.戦前の「体操教師」の負の遺産

1917(大正6)年の臨時教育会議での審議

嘉納治五郎(東京高師校長)の「生涯スポーツのすすめ」に対して反対意見

結果→「隊伍に在る生徒=体操、指揮する位置に在る生徒=威厳、人の上に立つべき人格を」

「球を投げるとか或いは縄飛をする結構であるが、兵式体操に重きを置いて国民に

尚武の気風を養うこと」「隊伍に在る生徒には服従共同等の徳育を養わしめ、指揮す

る位置にある生徒には威厳、其他人の上に立つべき人格を享有せし」め、「兵卒を訓

練するに当って諸々の技に熟せしむことは寧ろないようにして、精神教育に裨益すること」(結果「兵式体操の建議」が採択された)

1925(大正14)年配属将校令以後、全国の中等学校に現役将校が配属される

「体操教師」はその「目下の僕」としての役割をになった

 

戦前の学校体育――体力の錬成(鍛錬主義と根性論)、我慢強く丈夫で従順な国民・兵士づくり

軍隊の内務班の生活―「凄惨な私的制裁の常態化」「たての、隷属的な人間関係」

映画「人間の条件」(原作・五味川純平)

 

3.今日の学校現場における体育教師の評価・位置

管理主義教育の進展とともに「生徒指導」(取り締まり係)

権力の「番犬」「組合つぶし」といった「汚れ役」をになう

「上にへつらい、下にはいばる」いやらしい教師(?)

学校・社会で二重に差別される体育教師

学校経営政策における競争主義の導入→スポーツ重視・部活優先策と部活教師の立場

「勝つこと」への期待の大きさと不安定な「立場」

華やかさの陰でつきまとう悲壮感・孤独感

 

おわりに~学校を子どもの人権を守り育てる真の「民主主義の学校」に

本来、教育というものは教師たちの集団的・組織的指導によって目的がより効果的に達成されるところである。もし学校に「体罰」容認の指導が一部でも許され れば「体罰」否認、あるいは黙認教師の生徒掌握は困難を極める。時に女性教師や体罰を行わない教師は「弱い」教師とみなされ、生徒や体罰教師からの攻撃に さらされる。こうなると学校の集団的・組織的指導は難しくなり、また民主主義とは相いれない「弱肉強食」の世界となる。したがって「話し合い」をふくめた 民主的なルールも学校からはどんどん後退せざるをえない。

なぜ「体罰」を否定するかは「暴力肯定」「暴力の連鎖」を防ぐだけでなく「不平等性」

(生徒・教師の上下関係)、「言論の自由」や子どもの将来の「全面発達」保証、人権 擁護の観点からも論じられる必要があるが、さらには当の「体罰教師」が加害者であると同時に被害者的側面があることを真剣に議論される必要があろう。しか もこのことが学校だけでなくすべての人にとっての民主主義の問題につながっているという理解が重要であろう。

私は世の「民主的」と言われる人たちに真剣に問いかけたいと思う。体育やスポー

ツを馬鹿にし、蔑ろにすればするほどその体育やスポーツによって実は自らの足下から民主主義が破壊されていくのだということを。今回の桜宮高校だけではなく多くの学校の「体罰」、さらには柔道界で起こっている問題はもっと根の深い民主主義の課題であることを知って欲しい。

子どもの権利条約第3条(子どもの最善の利益)、第12条(意見表明権)

 

部活・体育教師をふくめてすべての教師が以上のことをどれだけ自覚し認識しているかが大事ではないか。

 

あらためてだれでも自由に物言える職場・学校づくりを!

 

≪参考文献≫

森川貞夫『スポーツ社会学』(青木書店、1980年)

森川貞夫・遠藤節昭『必携・スポーツ部活ハンドブック』(大修館書店、1989年)

森川貞夫「『なぜ体育教師は暴力/体罰教師になるのか』という声に対して」(『体育の科学』1989年9月号)

江森一郎『体罰の社会史』(新曜社、1985年)

坂本秀夫『体罰の研究』(三一書房、1995年)

星野安三郎・牧征名・今橋盛勝『体罰と子どもの人権』(エイデル研究所、1984年)

 

配布資料一覧

資料1 「『なぜ体育教師は暴力/体罰教師になるのか』という声に対して」(『体育の科学』1989年9月号)

資料2  スポーツ「部活」と体育教師 『体育科教育』(1989年7月号)

資料3 「嘉納治五郎の轍を踏ませるな」『季刊臨教審のすべて』第6号、1987年

資料4 「体罰について」(元都立三鷹高校校長・土肥信雄、3頁)

資料5 「桜宮高校から体罰をなくし、改革をすすめるために」(桜宮高校から体罰をなくし、改革を進める会、平成25年1月30日)

資料6 「運動部活動の概要」(成立過程から現在までのおおまかなあゆみと現況)

資料7 「体罰に関する通達・通知等」

資料8「スポーツ指導者の指導対応について(通知)」(公益財団法人日本体育協会、平成25年1月21日)

資料9 「新聞切り抜き」

「暴力は閉鎖社会に育つ 『反体制』の文化を取り戻せ」(日本経済新聞2月10日)

社説「学校に体罰はいらない」(東京新聞、1月11日)

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