日記 Diary

私の日記というよりも日々思うことを自由に書いておく「メモ」だと思って気楽にお読みくだされば幸いです。
By Morikawa on 2016/08/31 5:57

 今日やっと退院です。当初は9月の半ば頃と思っていたので早かったといえば早かったのですが、9月8日に知人たち一行が四国に8人でやってくるのでなんとかそれに間に合えばと願っていましたのでその願いがかなったというわけです。

 まさかまさかのこの夏でしたが、これも天のさずかりものと思うほかないでしょう。すっかり予定が狂いました。論文書くつもりでダンボール箱3っつを忍野に運んだのですがまったく開けていません。先ずこれを取りに行きたいのですが車にのれるかどうか、今日試験場の行って適性検査を受けるつもりです。

 雑誌の連載とスポーツ法学関係の共著の原稿は一応締め切り前に出すことができたのでまあ良しとするしかないでしょう。少し様子見ですかね。

 まちがいなく本日、無事退院しました。その足で車の試験場に行き、適性検査を受けましたが、試験官は今までどうりでいいとOKが出たのですが、連れ合いの許可がおりません。しばらくは様子見ということで長男の運転で忍野に行き、多少、荷物を持って帰りました。このまま四国に送ろうと思います。シャバの空気はいいですね。琵琶(蕎麦屋)で野菜天ぷらそばを食しました。病院食と比較しては申し訳ないけど雲泥の差ですね。

 家でもリハビリ訓練をやっております。少し言葉が聞きづらいかもしれません。ゆっくりしゃべれば大丈夫かと思いますが、どうでしょうか。

By Morikawa on 2016/08/29 16:21

 友人からのメールです。まったくこれまで知らなかった不明を恥じます。以下はその例です。下のURLにアクセスすると素敵な写真も出てきます。一番前の白人の選手(オーストラリア)に注目!胸のバッチはアクセスすると「人権バッチ」であることがわかります。

 

 

 

◇オリンピック表彰台で抗議した2位の白人男性のその後◆

http://www.imishin.jp/peter-norman/

 

1968年のオリンピックの表彰台。国歌が流れ星条旗が掲揚される間、2人のアメリカ人が首を垂れ、黒い手袋をはめた拳を突き上げました。貧困を象徴するため靴を履かず、スミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを、カーロスは白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するためロザリオを身につけていました。2人は迫害を受けましたが、その後゛「人権のために戦った英雄」になりました。

私が知らなかったのは2位のオーストラリア人、ピーター・ノーマンが危険を省みず、2人に共鳴し、そのために、故国で辛い生涯を送ったことでした。

ピーター・ノーマン。オーストラリア史上最速の短距離陸上競技選手で、世界で2番目に足の速い選手でした。スミスとカーロスは、示威行為を行なったことで、その後長い間アメリカスポーツ界から事実上追放され、批判に晒されました。新聞などのメディアにも非難・中傷され、彼らのもとには殺害を予告する脅迫文が何通も届けられたといいます。しかし、多くの人に知られることがなかったのは、ピーター・ノーマンも世界のスミスとカーロスの両選手の意図に共鳴して2人の隣に立っていたということです。そして彼もまた、その報いを受けていたのです。

当時のオーストラリアには、アメリカと類似した白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策が存在していました。実際、南アフリカのアパルトヘイトは、オーストラリアの先住民に対する差別政策を見習って作られたものだと言われています。1905年から1969年にかけて、「先住民族の保護」「文明化」という名目で約10万人の先住民族であるアボリジニの子どもを強制的に親元から引き離し、白人家庭や寄宿舎で養育するという政策も行われていました。そのため、この時代に白人オーストラリア人のノーマンが黒人やその他の少数民族と接触を持つ、公民権運動に同調するというのは、本国では彼の人生を破壊しかねなない非常に危険性の高い行為だったのです。

決勝レース終了直後、スミスとカーロスは銀メダルを取ったノーマンに「人権を信じるか」と尋ねたそうです。ノーマンは、「信じている」と答えました。再び彼に「神を信じるか」と尋ねると、ノーマンは「強く信じている」と答えたそうです。そして、その次にノーマンが口にしたことを2人はいつまでも忘れることはないといいます。「僕も君たちと一緒に立つ」そう言ったノーマンの目にはちっとも恐れはなく、ただ愛に満ちていたとカーロスは追想しています。スミスとカーロスは、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(略称:OPHR)」のバッジを着けていました。このバッジはオリンピック選手たちによる平等な権利を求める無言の訴えを示すシンボルでした。表彰台に向かった際に、スミスとカーロスが、「ブラック・パワー・サルートをするつもりだ」とノーマンに打ち明けると、ノーマンは2人の胸に留められたバッジを指差してこう言ったそうです。「君たちが信じていることを僕も信じている。それ、僕の分もあるかい?そうすれば僕も人権運動を支持していることを証明できる」

スミスは驚きました。「なんなんだ、この白人のオーストラリア人は?銀メダルを取ったんだから、それで十分大きなことは成し遂げてるじゃないか!」スミスは余分なバッジを持っていなかったため、ノーマンは他のアメリカ人選手から借りたバッジを胸に付けました。そして、史上に残る瞬間が実現したのです。3人の若いアスリートが表彰台に上がり、スミスとカーロスは拳を高く上げ公民権運動への敬礼をしました。何百万人もの人々を前にした「非政治的なオリンピック」の場で、これほど勇気ある政治行為をした人は前にも後にもいません。3人は、すべての人間は平等であるという信念のために行なったこの行為が、永遠に残るだろうということを理解していたのです。

事件後、アメリカのオリンピックチームの代表は、3人が生涯にわたって大きな代償を支払うことになるだろうと発言しました。その後、時代は流れ、アメリカの人種差別が撤廃された後、スミスとカーロスは人権のために戦った英雄になりました。歴史はスミスとカーロスの行為に正当な評価を下し、サン・ホセ州立大学には2人の行為を祝して像が建てられます。しかし、2位の表彰台が空です。このノーマン不在の像は、あの日以降、オーストラリアでノーマンが辿った運命を象徴するかのようです。それは最も悲しいヒーローの物語と言ってもいいでしょう。

オーストラリアでは、ノーマンは歴史から抹消されたかのような扱いを受けました。1972年のミュンヘン・オリンピックでも、選抜で出場資格を得たにもかかわらず、オリンピックのオーストラリア代表から除外され、ノーマンはスポーツ界を引退。その後は、体育の教師や肉屋などの職を転々としていたそうです。白人中心のオーストラリア社会でノーマンは、あの事件がきっかけで、家族ともども疎外されてしまったのです。その後、怪我により壊疽も患い、除け者にされ、無視された存在となった元アスリートは、アルコール中毒とうつ病に苦しみました。ジョン・カーロスはノーマンのことをこう言います。「ピーターはたった一人で、国全体に立ち向かって戦っていたんだ」

ノーマンは当時、信じられない名誉挽回のチャンスを与えられたことがあります。スミスとカーロスの行為を人類に対する冒涜だと公に非難すれば、ノーマンの行為も許されるというものでした。しかし、自分は間違っていないことを知っていた彼は、その申し出を退けました。2006年、ノーマンは心臓発作で亡くなりました。受けるべき謝罪は何一つとして受けないまま、この世を去ってしまったのです。彼の葬儀ではトミー・スミスとジョン・カーロスが棺を担ぎました。

2012年、ノーマンはオーストラリア政府から正式な死後謝罪を受けました。政府は、ピーター・ノーマンに対し、「・・・何度も予選を勝っていたにもかかわらず、1972年のミュンヘンオリンピックに代表として送らなかったオーストラリアの過ちと、ピーター・ノーマンの人種間の平等を推し進めた力強い役割への認識に時間がかかったこと」を謝罪しています。

「彼は自身の選択に対して報いを受けた」トミー・スミスは説明します。「あれは、私たちを同調するという単純な行為ではなく、彼自身の戦いでもあった。彼は白人で、有色人種男性2人に並んで勝利の瞬間に立ち会った白人オーストラリア男性で、私たちと同じ志のもとにあそこに立っていた」

ノーマンは1968年のあの日、200m陸上で20.06秒の記録で2位に輝きました。この記録は未だにオーストラリア記録として破られていません。本来なら英雄になるはずが、人権のために立ち上がったため批判され、生前は遂に認められず、2000年オリンピックにも招待されなかったのです。

しかし、世界にはもっと多くのピーター・ノーマンが必要かもしれません。あれから約50年、私たちはいまだに平等と人権のために戦っています。ノーマンの物語は、白人だろうが黒人だろうが人種に関係なく、平等を実現するのは私たちみんなの戦いなのだと教えてくれます。

この物語をシェアして、ノーマンの行為への敬意と彼の愛と思いやりのメッセージを広めてください。たった少数の人間でも大きく世の中を揺るがすことができることがあるのです。

By Morikawa on 2016/08/28 19:18

 昨日の午後、慣らし運転のため(?)、一時帰宅、もっぱら広島対中日の試合をスポーツナビで見ていたのですがなんと延長10回2死から大逆転、新井の満塁ホームランまで飛び出して終わってみれば11対4、こんなことってあるんですね。そして今日の試合はなんと6回にヘーゲンスが打ちこめられて7点、やはり9回表5点差だったのですが、3点取ったまででついに力つき、2点差負け、それにしてもよくやりました。

 夕方5時前に病院に戻り、また夕食は病院食、後3日です。日中はリハビリを兼ねて遠くのコンビニまで新聞を買いに歩きました。疲れますがこれも腰の痛みのせいで、脳梗塞のせいではありません。椎間板狭窄症で左足すね辺りにしびれがあるのを気にしていたら今度は右足、とくに腰の、腸脛靭帯の辺りらしいのですが、なにしろインナーマッスルが硬直しているために坐骨神経(?)を圧迫して痛みが走るのだそうです。

 マッサージというか理学療法士さんの手でさすったり、筋肉を伸ばしたりしてほぐしている間は痛みが治まるのですが、2時間も経つと元の痛みが出てきます。元々はゴルフの練習で5月の終わりころに痛めたものです。自業自得というやつですかね。

白川勝彦さんの「永田町徒然草」(8月27日)を読んでいると「自由が一番」というのがよくわかります。このどさくさに紛れてまた「共謀罪」を提出する動きが蠢いています。運用次第でかつての「治安維持法」と同じ効果をもっています。何を「共謀」したかはすべて権力の判断ですから。
By Morikawa on 2016/08/27 6:16

 今日は午前中リハビリをしいて午後1時半に帰宅です。だいぶん慣れて来ましたが、人ごみの中での電車・バスの乗り降りはどうなのか、ちょっと不安もありますが、たぶん大丈夫でしょう。会話の方は普通の会話のように聞けると思いますが、本人にはややまどろっこさがあります。早口言葉の練習も毎日やっておりますし、口まわりの体操(?)も毎回やっております。おそらくアナウンサーたちは基礎訓練としてかなりやたのでしょうね。

 世間の風にふれていないので院外の様子がまったくわかりません。台風も近づいているとか、31日退院ですが、心配なのはこの台風の接近ですね。

今夜、午後11時
ETV特集 アンコール「むのたけじ 100歳の不屈」 http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259510/ 
是非、見たいのですが我が家(府中)では地上波は見ることができません。残念!
By Morikawa on 2016/08/25 10:28

 31日に退院と決まってからはリハビリの内容も帰宅準備に変ったようです。階段の上り下りとか、普段使わない腰の周りの筋肉のトレーニングとか、質だけでなく量も増えたようです。そして何よりもうれしいのは一人で入浴できることです。月曜日と木曜日ですが、今日も午前中に入ります。

 昨日までの天気と打って変わって今日のん天気は朝から晴れ晴れのようです。隣の患者のいびきと奇声とでいささか寝不足気味ですが、もう少しの辛抱と我慢しています。家に戻れば自由気ままな生活になるのでしょうから少しは耐性を養っておかなければと思っています。

 昨日は懐かしい府中の昔の仲間というか、民主書店のおじさんとおばさんが見舞いに来てくれました。奥さんの方はペースメーカーが入っているのだそうでこの夏榛名山にもケーブルで登るのがやっとだったということですが、見た目にはお元気そうでしたので何よりです。元気なうちに四国にも来てもらいたいと思います。

そのためにも一日でも早く元の状態に戻したいと思います。

By Morikawa on 2016/08/23 17:20

 リハビリの甲斐あってか、来週の水曜日31日に退院できそうです。後1週間あまりですが、せいぜいリハビリに精を出して現役復帰をめざします。

 ところでリオ・オリンピック大会閉会式の安倍ちゃんのパフォーマンス、だれも批判しないんですかね。醜悪というか、まったくとんだ冗談でしょう。一番オリンピック精神を理解していない人が世界中の注目を浴びるだけの目的で出て来るのを一体全体誰が仕掛けたのでしょうか。やらせもいいところでしょう。無知、無恥そのものです。これをまったく取り上げないマスコミもどうかしています(さすが読売、写真まで載せてヨイショしていました)。

ところで今日の牧太郎さんのコラム読んだ?是非、読んでください!NHKもどうかしています。いくら国営放送だとしてもオリンピック運動をどう理解しているのでしょうか。冷静にIOC憲章をもう一度読んでみてください。
By Morikawa on 2016/08/22 6:49

「祭り」の後には一抹の寂しさがつきまとうものです。男子マラソンでリオオリンピック大会の幕が閉じたが、この15日間の残したものはなんであったか、今静かにふりかえってみると、ほんとうは「ヒロシマ・ナガサキの被爆71年」「天皇の生前退位」「敗戦記念日」と社会的・政治的」重要問題があったのですね。

 新聞、テレビはこうした重要問題を取り上げたし、特集ものもありましたが、結局はオリンピック・高校野球など、朝から晩まで、いや真夜中までスポーツ、スポーツのオンパレードでした。今さら「アヘンとしてのスポーツ」を論じませんが、その中でやはり一番気になるのは、メダルラッシュ騒ぎとメダルを取った選手の家族・恩師・友人などをふくめた「汗と涙」のライフヒストリーに焦点を当てていることです。

 オリンピック全体の様子や他の国の選手のこともよくわかりませんし、「史上最多」「史上最高」と言ってみても日本が第3位メダル獲得数だった後はいつしか他の国のメダル獲得数が消えていました(実際には6位?)。これって意図的だったんですかね。ニッポン、ニッポンと叫んでいるうちにいつしか「大国日本」意識に知らず知らずなっていくということは」ないのでしょうか。香山リカさんの「プチナショナリズム」が心配です。

 ここまで書いて朝食、新聞を見たらむのたけじさんが亡くなった記事が出ていました。東北の地で「たいまつ」を掲げて戦後一貫して反戦平和を訴え、憲法をなによりも大事にしたむのさん、享年101歳ですから思い残すことはなかったと思いますが、今年の「憲法記念日」にも最後の最後まで平和憲法を訴えたといいいます(鎌田慧)。従軍記者の体験から出た平和への願いだったのでしょう。

By Morikawa on 2016/08/19 13:28

 孫基禎さんのドキュメンタリーがドイツ・zdf で放映されました。いずれ日本語字幕を入れて日本でも放映されることでしょう。

 

インタネットでこちらでご覧ください: http://www.zdf.de/ZDFmediathek#/beitrag/video/2799092/Sieg-unter-falscher-Fl agge:-Olympia-1936 
吉田の4連覇ならず、「必勝」はありえない。負ける者も居れば勝つ者も居るのが世の常、吉田の場合は逆ですか、うんと泣いて今までの苦しかったことを流してしまえといいたい。マスコミがどう書くか、注目したいと思います。単なる「お涙頂戴」物語だけはやめてもらいたいと切に願います。
By Morikawa on 2016/08/18 19:44

 久しぶりというか、1か月ぶりくらいの、湯船につかることができました。リハビリはまだまだ序の口でしてゆっくりゆっくりと進めていますね。

 屋上の庭歩きでしたが、外の空気をじかに吸うことが出来ました。これもリハビリの時間なので単なる散歩ではありません。骨盤の凝り、普段意識していない筋肉をほぐすマッサージなど、勉強になります。こうした経験がお年寄りの指導にきっと役立つという実感はあります。言語指導もふだんは滅多に意識しない舌の動き、口の動き、音を出す、声を出すという仕組みが割に難しいのです。

By Morikawa on 2016/08/17 19:48

 今日から本格的なリハビリが始まったのですが、思っていたよりも軽いので拍子抜けですね。まあ気楽に気長にいこうと思います。

 待望の机(ベッド用)が来たので連載原稿を書き上げ送ることができました。連載ですので穴を空けるわけにはいかないですよね。リオ・オリンピック大会の中間総括というか、2020年に向けて私たちの課題を書いてみました。『月刊まなぶ』9月号です。

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