日記 Diary

私の日記というよりも日々思うことを自由に書いておく「メモ」だと思って気楽にお読みくだされば幸いです。
By Morikawa on 2014/01/29 23:42

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すべて仕事が終わったということで午後3時過ぎの便まで時間があり過ぎるので町営リリー山スキー場に初滑り、というより前立腺がんを患って以来中断していたスキーを3年ぶりにやってきました。リフトに4回ほど乗って感触を確かめることでもう満足でしたね。板から靴まですべて借り物ですが、どうです、まさに板について感じでしょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

By Morikawa on 2014/01/26 8:32
 今日の花は、ヒアシンス,ヒヤシンス、花言葉は「スポーツ」「遊び」、(ピンク)「しとやかなかわいらしさ」、(白)「心静かな愛」「控えめな愛らしさ」、(赤)「嫉妬」、(紫)「初恋のひたむきさ」、(濃紫)「悲哀」「競技」、(黄)「勝負」「あなたとなら幸せ」だそうです。
By Morikawa on 2014/01/25 1:31

 一昨日来、楽しい「集い」に「宴」が続いています。やはり久しぶりに会う「仲間」とは心底くつろげますね。

昨日は午前中にBG財団の「指導者研修会」で「スポーツにおけるリスクマネージメント」を70分講義、北は北海道から南は鹿児島まで100人を越す人数でちょっと驚きましたが、それでも熱心に聴いてもらえたので一安心、最初にワークショップの真似事ですが、参加型のものを入れたのがよかったのかもしれません。

 夜は新宿南口の美禄亭で最初の大学院の、最後の頃のOBGたち(豊丘村に入っての調査ゼミなどをやった院生)でした。当時を思い出しながらの笑いの連続でした。

 もうかれこれ15年近くになるのでしょうか、他にも九州や海外に飛び出していった者も居ますが、卒後20周年をやろうと盛り上がりました。いつまでも元気で居なければ楽しい酒も食も味合えないではないかと、後は互いのからだと気力へのいたわりを大事にしていくことでしかないなあ、と自分に言い聞かせて帰途につきました。

By Morikawa on 2014/01/22 21:10

  これを暴政と呼ばずに、何と呼べば良いのだろうか。
  沖縄の名護市長選で、 米軍普天間飛行場の辺野古移設に「拒否」の民意が明確に示された、わずか2日後の1月21日、目を疑いたくなるようなことが起きてしまった。

日本政府が公然と民意を無視し、普天間代替基地の設計や環境調査などの受注業者を募る入札を公告したのだ。この国の政権与党が「私たちは、沖縄に民主主 義を適用する気はない」と宣言したようなものだ。激しい憤りを覚える。日本のみならず、世界の民主主義の歴史、歩みの汚点となる悲しい現実である。

  平和と環境を重視する政党として名高い公明党の沖縄県本部は沖縄の民意に寄り沿っており心強い。しかし、東京にある公明党の本部は安倍政権の暴走に対する ブレーキの役割を十分には果たしていない。どうした平和の党・公明党!(本部本土の各都道府県本部)。同党支持者の中からも、そんな叫びが聞こえてくる。

  日本のマジョリティー、1億2千万の国民も他人事では済まされないが、それを認識する国民はまだ少数だ。沖縄の異議申し立てを、保革、イデオロギーの右 左、政権与党野党の問題、反米行動と捉えるのは、根本的な間違いだ。しかし、こうした沖縄県民の基本的な思いを理解しようという国民はまだまだ少数だ。

  フランクリン・ルーズベルト米大統領が提唱した「四つの自由」(1941年1月=言論の自由、信教の自由、恐怖からの自由、欠乏からの自由)及び米英間で結ばれた「大西洋憲章」(1941年8月締結)に、「平和的生存権」の源流を見いだすことができる。

この憲章は、「すべての国民が、自国の領土内で安全な生活を営むための、および地上のすべての人類が、恐怖と欠乏からの自由のうちにその生命を全うする ための保障を与える平和の確立することを希望する」と宣言している。この宣言は、日本国憲法の「平和的生存権」の原型だと言われている。

「沖縄のすべての住民は、恐怖、暴力、欠乏、貧困、抑圧、環境破壊にさらされることなく、平和のうちに居住する個別的具体的権利を有する」。
これは、沖縄の政治学者や憲法学者、新世代の政治家、自治体職員らで構成する沖縄自治研究会が2005年に作成した『日本国憲法第95条に基づく沖縄自治州基本法』(試案)の中で宣言したことだ。沖縄にも、日米両国国民と同様に平和的生存権があるのだ。

  沖縄で今起きていることは、人間としての尊厳、誇り、平和的生存権、自らの未来は自ら決めるという自己決定権の問題なのだ。これを放置するほど、21世紀の民主主義は劣化してしまったのだろうか?決してそうではないと、私は確信する。

あるべき民主主義の理想を訴え続けることが「愚直」と言う人がいるのなら、愚直と言われてもいい。だが、一言付け加えたい。民主主義を刻一刻と死滅に追いやるような愚直―それと一線を画することを沖縄県民はむしろ誇りとしているということを。

  日本国民に問いたい。沖縄に対する執拗なまでの構造的差別、理不尽な暴力を、沖縄以外の46都道府県の国民は見て見ぬ振りを続けるのか。あるいは無視するのだろうか。

それとも沖縄に連帯して、普天間の閉鎖・撤去、県外・国外移設を後押ししてくれるのか。民主主義を自分たちの手に取り戻す用意はあるのか。

  親愛なるキャロライン・ケネディー駐日米国大使にもこの場を借りて、問いたい。あなたも、二重基準は許されない。日本のイルカ漁に反対し、米本国ではマナ ティーを手厚く保護するのだろうが、沖縄のジュゴンは守る価値などないと考えているのではないか。違うというなら、ちゃんと証明してほしい。

  法律家でもあるケネディー大使には、ほかにも聞きたいことがある。米国国民の生命の安全、尊厳、基本的人権が侵害されることは不正義であり許しがたいが、 沖縄県民の生命の安全、尊厳、基本的人権が侵害されることは不正義ではなく、やむを得ない、許容すると思っていないだろうか。

  偉大な黒人指導者キング牧師は「私には夢がある」と語った。沖縄県民にも、平和で豊かな沖縄を実現したいとの夢がある。家族とともに、愛する人とともに、ごくささやかな幸せをこの手でつかまえたいとの夢がある。

  去った第二次世界大戦の時のようにおびただしい数の命を奪う戦場にするような悪夢は、二度と呼び覚ますことを決して許さない。この国がどこかと戦争をするような悪夢も二度と招かないし、許さない。

  戦争を喜ぶ市民など本来いないはずだ。多くのウチナーンチュが共有できる、普遍性のある夢は何か。それは、万国の津梁となり、軍事ではなく平和の要石になることだろう。

 一昨日朝早くに四国を出て、上京、すぐに明治大学で研究会に出席、その後、大田区の羽田にあるヤマト運輸の羽田クロノゲートの体育館事務室にピボット・スポーツクラブを訪ねました。くわしくは鈴木昌之さんのブログ(「わが街・我がクラブ」 ~こんな活動があるんだ再発見!~で自分の写真にコメント)をご覧ください。

 そこで総合型地域スポーツクラブの全国ネットのあり方などをEさんを交えて意見交換(私は単なる付き添い)、ここでは内容をご紹介できませんが、いずれ明確になった段階でコメントしたいと思います。

 夜は久しぶりに院生時代からの友人たちと懇談、そして昨晩は調布でかつて(1980年より少し前)『社会教育ハンドブック』の編集やさわいの会で出版した『社会体育の考え方・進め方』時の編集仲間と一献傾けました。そして今日はたまりばユネスコ倶楽部有志とランチタイム・ミーティング(府中・MUGI)と、楽しい時間を過ごしています。

 そういう中で今日は都知事選立候補者たちの記者会見など、政治状況も急展開を見せていますが、その中で先日の沖縄・名護市長選結果を見ながらの、なんと乱暴な政府の対応か、以下、「民主主義よ、死ぬな」を貼り付けます。

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            民主主義よ、死ぬな


潮平芳和


  これを暴政と呼ばずに、何と呼べば良いのだろうか。
  沖縄の名護市長選で、 米軍普天間飛行場の辺野古移設に「拒否」の民意が明確に示された、わずか2日後の1月21日、目を疑いたくなるようなことが起きてしまった。

日本政府が公然と民意を無視し、普天間代替基地の設計や環境調査などの受注業者を募る入札を公告したのだ。この国の政権与党が「私たちは、沖縄に民主主義を適用する気はない」と宣言したようなものだ。激しい憤りを覚える。日本のみならず、世界の民主主義の歴史、歩みの汚点となる悲しい現実である。

  平和と環境を重視する政党として名高い公明党の沖縄県本部は沖縄の民意に寄り沿っており心強い。しかし、東京にある公明党の本部は安倍政権の暴走に対するブレーキの役割を十分には果たしていない。どうした平和の党・公明党!(本部本土の各都道府県本部)。同党支持者の中からも、そんな叫びが聞こえてくる。

  日本のマジョリティー、1億2千万の国民も他人事では済まされないが、それを認識する国民はまだ少数だ。沖縄の異議申し立てを、保革、イデオロギーの右左、政権与党野党の問題、反米行動と捉えるのは、根本的な間違いだ。しかし、こうした沖縄県民の基本的な思いを理解しようという国民はまだまだ少数だ。

  フランクリン・ルーズベルト米大統領が提唱した「四つの自由」(1941年1月=言論の自由、信教の自由、恐怖からの自由、欠乏からの自由)及び米英間で結ばれた「大西洋憲章」(1941年8月締結)に、「平和的生存権」の源流を見いだすことができる。

この憲章は、「すべての国民が、自国の領土内で安全な生活を営むための、および地上のすべての人類が、恐怖と欠乏からの自由のうちにその生命を全うするための保障を与える平和の確立することを希望する」と宣言している。この宣言は、日本国憲法の「平和的生存権」の原型だと言われている。

「沖縄のすべての住民は、恐怖、暴力、欠乏、貧困、抑圧、環境破壊にさらされることなく、平和のうちに居住する個別的具体的権利を有する」。
これは、沖縄の政治学者や憲法学者、新世代の政治家、自治体職員らで構成する沖縄自治研究会が2005年に作成した『日本国憲法第95条に基づく沖縄自治州基本法』(試案)の中で宣言したことだ。沖縄にも、日米両国国民と同様に平和的生存権があるのだ。

  沖縄で今起きていることは、人間としての尊厳、誇り、平和的生存権、自らの未来は自ら決めるという自己決定権の問題なのだ。これを放置するほど、21世紀の民主主義は劣化してしまったのだろうか?決してそうではないと、私は確信する。

あるべき民主主義の理想を訴え続けることが「愚直」と言う人がいるのなら、愚直と言われてもいい。だが、一言付け加えたい。民主主義を刻一刻と死滅に追いやるような愚直―それと一線を画することを沖縄県民はむしろ誇りとしているということを。

  日本国民に問いたい。沖縄に対する執拗なまでの構造的差別、理不尽な暴力を、沖縄以外の46都道府県の国民は見て見ぬ振りを続けるのか。あるいは無視するのだろうか。

それとも沖縄に連帯して、普天間の閉鎖・撤去、県外・国外移設を後押ししてくれるのか。民主主義を自分たちの手に取り戻す用意はあるのか。

  親愛なるキャロライン・ケネディー駐日米国大使にもこの場を借りて、問いたい。あなたも、二重基準は許されない。日本のイルカ漁に反対し、米本国ではマナティーを手厚く保護するのだろうが、沖縄のジュゴンは守る価値などないと考えているのではないか。違うというなら、ちゃんと証明してほしい。

  法律家でもあるケネディー大使には、ほかにも聞きたいことがある。米国国民の生命の安全、尊厳、基本的人権が侵害されることは不正義であり許しがたいが、沖縄県民の生命の安全、尊厳、基本的人権が侵害されることは不正義ではなく、やむを得ない、許容すると思っていないだろうか。

  偉大な黒人指導者キング牧師は「私には夢がある」と語った。沖縄県民にも、平和で豊かな沖縄を実現したいとの夢がある。家族とともに、愛する人とともに、ごくささやかな幸せをこの手でつかまえたいとの夢がある。

  去った第二次世界大戦の時のようにおびただしい数の命を奪う戦場にするような悪夢は、二度と呼び覚ますことを決して許さない。この国がどこかと戦争をするような悪夢も二度と招かないし、許さない。

  戦争を喜ぶ市民など本来いないはずだ。多くのウチナーンチュが共有できる、普遍性のある夢は何か。それは、万国の津梁となり、軍事ではなく平和の要石になることだろう。

  この沖縄の夢を、米国はなおも踏み潰し、歴史に汚名を刻み続けるのか。独立宣言の精神や米国民主主義の良心を呼び覚まし、行動するときではないのか。これまでの対沖縄政策の過誤を根本から改めるつもりはないのか。バラク・オバマ米大統領にはそれくらいの決断はたやすいはずだ。

  沖縄県民の堪忍袋の緒がいつまでも切れぬと思ったら大間違いだ。
多くの県民が胸の内に秘めているのではないか。非暴力の異議申し立てを決して止めない。マハトマ・ガンディーに思いを馳せながら、沖縄の行く末を見据えている沖縄住民は決して少なくない。強欲な覇権主義、植民地主義には、いつか歴史の審判が下される日が来る。

  沖縄から訴えたい。この国(日本)の民主主義よ、死ぬな。米国の民主主義よ、世界の民主主義よ、死ぬな。
By Morikawa on 2014/01/17 14:02

 今日の花は、ナズナ,なずな(薺)、花言葉は「すべてを捧げます」だそうです。一度でもいいから「あなたにすべてを捧げます」と言いたいですね。

 えーっ、今からでも遅くないですか!?

 なずなは「春の七草」の一つですよね。確か別名、ペンペン草でした。

もう、すぐそこに春なんでしょうか。

By Morikawa on 2014/01/12 7:06

 今日の花は、スイートアリッサム、花言葉は「美しさに優る値打ち」「優美」「飛躍」だそうです。 

 あまり聞いたことのない名前ですが、別名「庭なずな」「においなずな」。アブラナ科。正確には「アリッサム属のアリッサム」とは別種なんだそうです。
「スイート」は、芳香に由来している。


By Morikawa on 2014/01/08 0:33

 ここ数日、NHKラジオ朝の放送について「確認」したいということでご存知の方はお知らせくださいとよびかけていたのですが、なんと、当の刈屋富士雄アナウンサーからメールをいただきました。おまけに添付ファイルで当日の「放送」の正確な内容を送っていただいたのです。これを私一人のものにしておくのはもったいないので以下に大事はところをで記してご紹介させてもらいます。

 Qは当日の担当アナウンサーの「問いかけ」、その後が刈屋アナウンサー(正確には解説員でしょうか?)です。(一部省略があります)

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Qそして2020年の東京オリンピックに向けても本格的に動き出しますね。

そうですね、新しい都知事のもと組織委員会が作られいよいよ動き出しますが、

その2020年への宿題について、年の初めに考えてみたいと思います。

6年後の2020年の東京オリンピックで日本は、はたしてメダルの数をどれぐらい増やせるのかと早速関心を集めていますが、私個人としては、メダルの数はどうでもいいと思っています。と言うのもメダルの数よりももっと大切な事が、そしてもっと重い責任が二度目の開催となる東京にはあると感じているからです。

 Q一回目とはやはり違うわけですね

 開催都市が東京に決まった後の記者会見で、当時のIOCのロゲ会長は、「東京を、オリンピッツクムーブメントの要として期待している」と語りました。

何気ない言葉のように聞こえますが、開催都市の東京にとっては大変重い言葉です。この言葉は、東京がアジアで初めてIOCのオリンピックムーブメント普及のリーダーの一つとして認められたと同時に、その責任を背負ったとも言えます。

では、オリンピックムーブメントとは何かと言いますと、近代オリンピックの創始者クーベルタンは、スポーツを通じて人々の心身を鍛え、平和な世界を築いていこうと考えました。この思想が「オリンピズム」と呼ばれその後のオリンピックの根幹となりました。このオリンピズムを普及するための様々な活動が、オリンピックムーブメントです。オリンピックムーブメントは、オリンピック憲章にIOCの役割として記されています。短く要約しますと、「スポーツを人間の発達に役立て、人間の尊厳を守り、平和な社会を推進すること。そして、あらゆる差別と闘い、非暴力、フェアプレイの精神を広げること」です。

そのための活動項目のひとつが、オリンピック競技大会の開催で、最も有効な普及の機会として位置付けて、開催する場所それぞれ意味を持たせてきました。

近代オリンピック120年の歴史の中で、夏のオリンピックを複数回開催した国は、過去わずか6カ国しかありません。ギリシャ、フランス、イギリス、アメリカ、ドイツ、そしてオーストラリア。都市では、発祥の地アテネ、そしてパリ、ロンドン、ロサンゼルスの4都市のみ、今度の東京がようやく5都市目です。いかに2度目の開催のハードルが高いかわかりますし、その責任の重さも全く違うことを自覚しなければなりません。

 Q開催する意味合いが全然違うのですね?

 IOCも、初めての開催の都市には、開催自体に意味を持たせ、初めてのその場所で開催することでオリンピズムの普及を図ろうとしますが、2回目の開催の都市には、それ以上の価値、つまりIOCとともにオリンピズムを普及するパートナー、オリンピックムーブメントのリーダーとしての役割が期待できるかどうかで選ぶと言われています。アジアにおけるオリンピックムーブメントの要としての期待から東京が選ばれたわけです。

これまで3回のアジアでの夏のオリンピックは、東京、ソウル、北京といずれも初めてで、しかも都市として発展途上の段階での開催でした。これは、スポーツ文化が未成熟で、競技団体も競技環境も未発達な場所で、将来オリンピズムが根付いてもらうための新たな種蒔きとしてオリンピックを開催する場所として選ばれたもので、開催すること自体がオリンピックムーブメントの活動という位置づけだったと言えます。

 Q最近同じような立場で五輪を開催した都市はどこですか?

最近、オリンピックムーブメントのリーダーとしての役割を担ってオリンピックを開催したのは、2000年のシドニーと2012年のロンドンです。

ともに、メダルの数を飛躍的に伸ばし競技力の向上を形として見せつけました。

両国とも8年前の大会では金メダルの数は10位でしたが、8年後の自国開催では3位と4位に順位をあげました。日本も8年前にあたる去年のロンドン大会では金メダルの数は10位ですが、メダル数は6位、長期的な強化を行えば5位以内は実現可能だと思われます。しかし、シドニーもロンドンも五輪後に最も胸を張った点は、メダルの数の増加ではありません。様々な点で高い評価を受けた両都市が、いの一番にそして最も胸を張った点は、スポーツに親しむ人口に倍増させた点です。スポーツを一部の人のものにせず、広く市民の生活の中に浸透させた点です。スポーツ人口を飛躍的に増加させ、試合展開に的確にリアクションする質の高い観客を提供し、愛情あふれるフェフレンドリーなボランティアが大会を支えました。これは簡単そうでとても難しいと思います。環境と意識を変えなければいけません。

 Qたとえばどうして行ったら良いのでしょう?

 今の日本のスポーツ環境では、とても6年間でスポーツに親しむ人口を倍増させることは出来そうもありません。学校の部活中心の子どもたち、卒業と同時に活動する場所も時間もなく、企業スポーツでは限られた選手のみという環境が、半世紀も続いています。しかもこの閉鎖的なスポーツ環境の中で、繰り返し体罰や暴力問題が浮上してきます。

この環境のままで、一部のエリート選手たちだけに予算を投入して、メダルの数だけ増やしても、オリンピッツクムーブメントのリーダーの姿とは程遠いものです。

まず早急に各競技団体の組織や体質を改善しなければなりません。競技団体は何のためにあるのか。本来競技者のためにある組織が、OBや役員、職員など、組織のための組織になり硬直化している問題点を解決できずに来ています。すぐにでも競技者中心の組織に作り変え、意識もアスリートファーストに体質改善する必要があります。さらにスポーツ環境そのものの改革と整備が必要です。学校の部活動と企業中心のスポーツは、複数のスポーツに触れるチャンスを制限し、体罰の指導者からは逃げられず、卒業とともにスポーツと離れ、トップ選手も企業の経営に左右されます。この環境では、体罰や暴力は黙認され、一人一人の可能性も制限され、一般の社会人のスポーツの機会は少なくなります。

ではどうすればいいのか、一つの例としては、部活と学校を切り離す改革をすべきです。スポーツは全て地域のクラブで行います。施設は学校の体育館などを借用します。文科省も2011年度から地域の拠点として位置付けるスポーツクラブにトップ選手の派遣事業を始めていますが、拠点クラブは現在50あまり、この活動を6年後に向けて積極的に展開していってほしいと思います。

スポーツをする側も教える側も選択する自由を保障するシステムを作らないことには何も変わらないと思います。日本のスポーツ環境の閉鎖性を打破することなしに、6年後の成功はありません

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 私がこれ以上付け加えることはありません。これほど重要な、ポイントをついた「発言」をラジオ放送と言う限られた時間の中で的確に「発言」できるということはプロのなせる業ですが、それは日本と世界のスポーツを複眼的に見ながら、同時に歴史的・時系列的に見ていくということが日頃から訓練・トレーニングしていなければできない「芸当」です。完全に脱帽です。あらためて刈屋さんにお礼を申し上げます。

 

By Morikawa on 2014/01/06 22:18

 年賀状で四国の住所に届いたのはすぐにこちらから返事を送っているのですが、今朝のポストに1枚宛先・氏名不明で帰ってきたのがありました。それもそのはずです。表には何も書いていないのですから(トホホです!)。というわけで私にせっかく賀状を出したのに返事が無いと怒っていらっしゃる方が居るはずですね。

 とりあえず今年も正月過ぎてから出すことになりましたが、以下のようなものです(不悪)。東京の住所に出した方は9日に上京しますのでおいおい出します。お許しを。

 昨日、3日 朝のNHKラジオでの刈谷富士夫アナウンサーの「発言(展望 2014年<オリンピック>)」についてご存知の方は教えてくださるようにお願いしたのですが、今のところまだどなたからも連絡がありません。ラジオはあまり聴いておられないということでしょうか。

 いずれにしてもその内容はとても重要な指摘(メダル獲得競争よりも大事なことはオリンピック・ムーブメントのアジアにおける拠点になることだというニュアンスだった?!)だと思いました。是非、どなたかご存知の方、是非、連絡ください。

 

 

By Morikawa on 2014/01/05 22:30

 今日の花は、ミスミソウ,みすみそう(三角草)、花言葉は「自信」「信頼」「優雅」「高貴」「忍耐」「内緒」「悲痛」だそうです。

 園芸界では「ユキワリソウ」の名で呼ばれることが多いとか。

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