日記 Diary

私の日記というよりも日々思うことを自由に書いておく「メモ」だと思って気楽にお読みくだされば幸いです。
By Morikawa on 2013/08/24 0:19

 孫娘、Chiiちゃんの夏休み最後の「旅」は忍野です。3泊4日の「旅」も今日でお終い。「回転すし」が大好きなので、早めの「夕食」を食べさせてから帰す予定です。

 こちらもいささかくたびれてきました。まだ工事の職人さんが出入りしていますので気持ちが集中できないのです。

By Morikawa on 2013/08/17 0:54
 今夏初めての富士山、ということは世界遺産認定後初めてということでしょうか。少々、霞んでいますが、これでも朝6時半です。
By Morikawa on 2013/08/10 17:54
2日前から三景の記者のコメントを求められていた「体罰調査」結果の報告が9日に発表されたようです。私のコメントは今日の産経新聞社会面に出ていました。いわく「「教員の資質向上を」 森川貞夫・日体大名誉教授
2013.8.9 21:03

森川貞夫日本体育大学名誉教授の話「今回の体罰実態調査は一定の抑止力を持ったと思われるが、毎年同じ調子で行うとマンネリ化し、効果も減退す る。体罰問題の根本的解決策は地道な教員の資質向上しかない。文部科学省や教育委員会など上からの管理主義的指導ではなく、学校現場で教員と保護者が一体 となって研修を行い、地域や保護者に『開かれた学校』にしていく指導が重要だ」

 実際に記者の問いに答えて送ったメールは以下の通りです。

 ① ・数が跳ね上がっていることへのご意見

教委・校長などを通して「通知」と「調査」が学校現場まで浸透した結果、以 前の「調査」に比べて増えたのは当然。

② ・これまで、なぜ把握できなかったのか
これまでも「体罰」問題等の調査が行われた、多くの現場では受けとめ方が他 人事の部分があったのと、今年に入って社会問題化することで現場教師の受けと め方に「変化」(いい意味で真剣に向き合う姿勢が出てきた)があったため。

③ ・今回私立のデータもでたが、そこから何が読み取れるか
中学・高校の部活あるいは「体育」の授業では依然として「体罰」は存在して いる「事実」がデータで示された。根は深い
また、中学より高校に「体罰」発生率が高い。さらに私立高校がもっとも高く 29.1%を示している。おそらく一部の運動部伝統校、あるいは教育困難校などに おける部活中心主義のひずみがあるのではないか。
なぜか、小学校は国立の小学校が公立・私立に比べ発生率が高い。地方の名門 付属小(○○の学習院などとよばれれている)などに厳しい生徒指導などが存続し ているのではないか。

③ ・私立の場合も、各学校に調査方法はゆだねられているが

学校任せの調査で実態把握は本当にできるのか

私立の回答率がわからないが、おそらく「任意」であればかなり未回答校が おったのではないか。調査に対する「強制力」をどう持たせるか、地方教委の私 学担当所管課の専門職配置などによる学校現場への「指導助言」の質的向上が大 事ではないか。これまでは私学振興策か私学助成金に矮小化されてきた感じだ。 かといって私学の特性を無視するわけにはいかないので悩み多き課題ではある。

④ ・学校を指導する立場の国、各教委の今後の課題
今回の「調査」は一定の「抑止力」をもったと思われるが、毎年同じ調子でや るとマンネリ化し、抑止力もそれだけでは効かなかうなる。
「体罰」問題の抜本解決は地道な「教員養成」の質的向上しかないので学校現場 での保護者・教職員一体となった研修をつみあげて地域・保護者にも「開かれた 学校」にしていく指導が重要、あまで上からの管理主義的指導では失敗する。

⑤ ・学校現場の課題
最近、とみに教員が報告書作成その他の事務的作業に追われてたいへんに忙し いと聞く。学校教員こそ「ゆとり」ある教師生活が必要、そのためには校長など の管理職にある者がもっと若い教師たちがのびのびと研修・研究できる、発言で きる明るい学校づくりに力をそそぎ、徐々に子どもの人権・体罰問題への、ゆる やかな「対応」を可能にしていくこと、今は「あれは駄目」「これは駄目」と いったネガティブな管理指導が強いのでは。前向きな教育活動に専念できるよう な環境・条件づくりが、長い目で見て「体罰」問題根絶への近道だと思われる。

⑥> ・児童生徒、保護者の課題

すでに上に述べてきたように学校と地域・保護者との「子育て」「教育支援」 の、「協働」が求められる。その中で子どもたちへ「いじめ」対策や人権教育r の実践を一歩一歩つみあげるしかない。

以上です。「体罰」問題の特効薬はありません。教員養成段階から学校現場にい い人材が集まるような、教育重視・教員重視政策が大事でしょう。

とくに体育教師への「二重差別」は以前に朝日新聞の「私の視点」(6月8日付) に書いたように体育教師・「体罰教師」の抱える「負の遺産」「負の歴史」を清 算するにはとうてい至っていません。体育系大学の受験生、」入学後のふだんの 授業の実態を部活動と比べてみればわかります。

とてもそこまで行政も踏み込めないでしょう。それだけ大学の教員や体位系大学 そのもの「自主改革」が求められます。

そのための社会的なきびしい「視線と同時に支援が必要です。

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どのように「切り取られるか」の見本ですかね。

 

By Morikawa on 2013/08/06 3:44

 今年も「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」が開催されます。一方、「夏の甲子園大会(全国高等学校野球大会)」は8日が開会式、9日が「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」と続きます。しかし、毎年、「原爆投下」の時間に一時試合を中断して高校球児たちが黙とうをささげていると、私は錯覚していました。実際には「原爆投下の日」ではなく、8月15日の「終戦記念日」に黙とうをささげているのですね。

 下記の記事で確認しました(Y's WebSite : Blog ~日々是好日~、(2005年)

8月6日午前8時15分、広島は60回目の原爆記念日を迎えました。そして、今日から第87回全国高校野球選手権大会が始まりました。夏の高校野球のス タートで活気付く阪神甲子園球場で、原爆投下時刻を前に広島県代表の高陽東高校が開会式に備えて集合した他の48チームの選手たちに黙祷を提案しようとし たところ、日本高校野球連盟の関係者に制止され、高陽東ナインだけで黙祷したとのこと。学校側は前日までに大会本部などの了承を得ていたようです。
このことについて、思うことを少し。
毎年8月15日の終戦記念日には、正午には甲子 園球場にサイレンが鳴り響き1分間の黙祷を捧げます。白熱したゲームが繰り広げられていたとしても、選手も観客も応援団も手を止めます。これは今年も行わ れることでしょうし、これからも続けられることだと思います。高野連は8月15日の終戦記念日に広島と長崎の原爆忌もかねて黙祷しいるという見解のようで す。

MSN-MainichiINTERACTIVEの記事によると
『関係者によると、当初は同校の工藤真司主将(3年)が「被爆地の高校生として、ピカドンで亡くなられた多くの人々の冥福を祈り、二度と過ちを繰り返さないことを誓います」と宣言し、他の選手たちにも黙とうを呼びかける予定だった。
しかし、メッセージを伝えようとしたところ、高野連の田名部和裕参事が「原爆は広島だけのこと。この場でみんなを巻き込むのは良くない」と制した。同校ナ インは列を外れ、広島の方角に向かって自分たちだけで黙とうしたという。選手の一人は「他府県の選手にも被爆の悲惨さなどを知ってもらおうと考えたのに、 悲しい」とがっかりしていた。』
とあります。
主催者側の朝日新聞社がこれに対しての行き違いだとして抗議する記事がasahi.comにありました。これによると
『大会本部によると、高陽東は4日、朝日新聞側に「6日に黙祷したい」との希望を伝えた。同社の担当部署は日本高野連と相談して「自校で黙祷することはか まわない」と判断したが、学校側に伝える際に社内で行き違いがあり、同校は他校に呼びかけても差し支えないと受け止めたという。』
とのこと。
微妙なニュアンスですね。判断したことが正確に伝わっていなかったからこそ行き違いがあったということでしょう。いずれにしても大会運営上の都合での判断でこのように制止されたことは嘆かわしいことです。
広島原爆忌の今日、戦争で負った日本の傷、そして被爆の悲惨さを忘れない為にも、今回こうして広島県代表校が参加校全体で黙祷をしたいと提案をしたこと、 これはとても純粋で真摯な気持ちであると思います。これが制止されずに実現していたら、広島県のみならず全ての国民が60年前の今日の日を振り返ることが できたのではないかと思います。悲しいかな高野連に制止され、実現しなかったことによってニュースとなり、60年前の広島の原爆記念日についてを考えさせ られることとなるとは皮肉ですね。わずか数分の宣誓と1分の黙祷を制止した理由は「原爆は広島だけのこと。この場でみんなを巻き込むのは良くない」とのこ と。これは、大会運営上の段取りや都合しか考えていないというように見受けられます。高野連の対応に唖然とするばかりです。

追記:8/6 23:55
毎日新聞大阪本社代表室の話として
『田名部参事が会見で否定した発言は、関係者の話を基に記事にしました。田名部氏に直接、取材したものではありませんでした』と。黙とう:甲子園での提案制止で田名部・高野連参事会見の記事によって、記者の憶測が含まれた記事掲載であったことが明らかになりました(本当だろうか、圧力がかかったのではないだろうか?)
毎日新聞の記事に惑わされた点もありますが、突き詰めて考えると、これは原爆投下の黙祷の提案よりも、大会運営上の問題を優先したということですね。

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 今年は今日8月6日は大会はありませんので9日の「長崎・原爆投下の日」(大会2日目)にどうするか、確認したいものです。

 これとは別に『マスコミ市民』8月号に 「青春!血と汗、涙の甲子園」を煽る前に (「スポーツ時評 22」)を書きました。最後に「一度、『甲子園大会』をやめてみてはどうか」と、結びました。もちろん、これでどうなるというものでもありません。警告をふくめての「問題提起」のつもりです。

By Morikawa on 2013/08/03 17:01

 麻生副総理の「「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね」という「失言問題」はどう「訂正・撤回」しても犯した「罪」は消えるわけではないでしょう。しかし今私が指摘したいのは、先の「2020年オリンピック招致」活動で7月4日、スイス・ローザンヌでの3都市プレゼンテーションでは元オリンピアン、東京招致議員連盟会長の肩書で張り切って演説したのは麻生太郎その人だったということです。元々、日本は日韓・日中問題で足下をすくわれており、肝心のアジアで基礎票が無いところに猪瀬知事の「イスラエル発言」、さらに今回はこともあろうに「ナチス」を引き合いに出して「憲法改正」をもくろむという無神経・非常識ぶりにはおそらくJOCはじめオリンピック招致関係者は肝をつぶしたでしょう。

 「東京五輪招致の大義」もはっきりしない上に「経済優先」「開発優先」でのオリンピック招致となれば日本がオリンピック運動 には関心が無いことを内外に示すようなもの、何が何でもというので担いだ麻生氏がこの体たらくでは救いようがないでしょう。どの新聞も「改憲」問題に影響を及ばさないようにとしている節がありますが、麻生「失言」を2020年オリンピック招致活動にふれた記事はみあたりませんね。

 大手紙はこれから追うのでしょうか、それとも無視でしょうか?

 「失言王」麻生太郎を引っ張り込んだJOCはさぞかしほぞをかんでいることでしょう。

 

By Morikawa on 2013/08/01 11:08

 先月29日から3日間、通信教育のためのスクーリング(スポーツ・マーケティング論)、二人の受講生でしたが、無事、終了しました。今回の参加者はいずれお中高年に近い方でしたが、とてもスポーツだけでなくさまざまなことに興味関心をお持ちの方たちで、また人生経験もあって、私だけが一方的に話すこともなく、大いに盛り上がり、相互交流ができた感じです。久しぶりの「講義」で前日までの準備、直前まで教材の選択に迷いましたが、最終的には私のスポーツ社会学論の「すべて」を吐き出す感じとなりました。しかしこういう緊張がたまらないですね。

 さてさて、あきれてものも言えないのが全柔連上村会長の「最後のあがき」です。加えて理事・評議員も世間との乖離というか、常識もなにもあったものじゃないですね。これでは選手たちや登録している柔道愛好者が可哀想です。どんなに肩身の狭い思いをしていることか、あの人たちは想像できないのでしょうか?

 しかしこういうことが「スポーツへの国家介入」を許すことになるのだということはスポーツ界全体でしっかりと認識しておかんければならにでしょう。戦前のスポーツへの国家介入の手始めは文部省による「野球統制令」(昭和7年)でした。過熱する児童・生徒の野球大会に対する批判を梃(てこ)にしたものでしたが、今、「夏の甲子園大会」へ向けて全国各地で「狂騒曲」が繰り広げられていることでしょう。「汗と涙」「青春」などの文字や見出しが飛び交っていることでしょう。

 気がついてみたらいつのまにか、政治にからみとられていたということの無きように戒めていきたいものです。

 まったく予想もしていなかったのですが、リンクを貼っている「昼は会計、夜は「お会計」の7月31日付に下記の記事、ありがたいことです。

体育教師の体罰問題の意外な真相 医療・介護にある虐待と共通なもの


テーマ:
朝日新聞(6月8日)「私の視点」に「体育教師の体罰 撲滅へ、社会の後押しを」(日本体育大学名誉教授・森川貞夫)という文書が紹介されている。
氏は長年、体育教師育成に携わってきたものとして、次々報じられる「体罰」教師の記事に「胸をえぐられる」としながら、以下のように論じている。
「体育教師は『思想穏健な便利屋』として、学校の管理職や教育委員会から扱いやすい存在として見られてきた側面がある」「それゆえ、生徒の生活指導係など 他の教師がやりたがらない役目を期待されてきた教師も多い。他の教科教師や保護者からは内心さげすまれてきた」。氏も新任教員のころ水泳授業を真面目にや ると、「進学主要教科の教師から『泳いで疲れさせんように。肝心の授業で寝てしまうから』と釘を刺された」という。「こうなると本来の体育授業では評価さ れず、部活が生きがいとなり、部活で成績を上げれば校長からお褒めの言葉いただきありがたいと思うおめでたさ」。
「こうした事情に加えて競争主 義・成果主義による『運動部優先政策』が学校に導入されれば、『勝利至上主義・スポーツ部活第一主義』が入り込」み、「これに無自覚な体育・部活教師、さ らには管理職の黙認あるいは奨励、他教師などの軽視・無視が加わり、『体罰』温存体制が完成するのである」。
そして、「体罰は、生命=人間の 尊厳、子供の健康的な成長、人権擁護の観点から、全面的に否定されなこれまければならない」が、「体育教師を中心とする『体罰』教師には、前述のような 『被害者的側面』があることも問われなければならない」としている。そして「一種のいじめにの構造に似ていて、差別された者が差別し、体罰はさらに体罰を 求める『負の連鎖』である」

この話にぎょっとした。メディアでは浅薄な体罰論ばかりで、このような視点は見たことがなかった。一方で、 「ここでもそうか」とも思った。私が関与してきている医療や福祉・介護分野でもの中にある患者・利用者虐待に、共通した問題なのだ。私自身が見聞きした経 験でも、言葉としては適当ではないのだが多くは「もっとも現場の労働者」(例えば、医療でいえば医師を頂点としてヒエラルキーが歴然と存在し、そのなかで 一番下の層の助手や介護福祉士やヘルパーなど)が、「虐待」を起こしているケースがほとんどだ。これは、世界の社会福祉の歴史を紐解いても共通している し、アメリカでよく問題になるベビーシッターによる赤ちゃん虐待もその典型だ。いわゆる差別を出発点としたいじめや虐待という「負の連鎖」だ。

差別の構造という点からみると専門資格者ぞろいの医療などはどうしても、給与待遇などでは明らかに序列ができる。(もちろん、医療法による医師の指示・責 任や看護師とそうでないものの責任などは明記されており、そうした医療機能上でも資格による差異が出るのは当然なのだが) それは、決して人間的な優劣と は別なのだが、上位資格との上位関係がしわ寄せされて最下層の人にえもいえぬプレッシャーがかかってくる。はけ口は、さらに弱い患者であったり、利用者と なる。社会福祉法人の老人施設なでも老人虐待はあるが、医療法人などで介護・福祉事業をやっている混合型(私が糧に名付けた)の場合は、そのヒエラルキー の矛盾がより多いように思う。医療法人経営の介護事業より社会福祉法人の老人施設のほうが介護福祉士たちがより元気で主体的であるという印象がまぬがれな い。それは、医療のようなヒエラルキーがないので、自分たちが主人公意識が強いように感じられるからだ。

体罰教師の問題では、氏は 「『体罰』教師とそれを育てた体育系大学だけで根本的な解決を担えるものではない、誤解をそれずに言えば、『子どものいのちとからだを守り育てる』体育・ スポーツへの深い理解と社会全体の後押しなしには、『負の連鎖』は断ち切れない」という。まさに、医療や福祉においても、専門学校における教育や職場職員 教育などだけでは解決できない。

第一に、狭義の社会としての病院や施設など職場環境全体の問題がある。一人ひとりの職員の人間性が尊重され、専門性に裏打ちされた民主的なチームがあって、誰もが自由に意見を述べ、実践においては一人ひとりの職員が主人公と思えるような職場環境が求められる。

問題が起きるような施設ではやはりこの辺が欠けている。例えば、症例検討会やカンファレンスなどには看護師までしか呼ばれないで、最前線で患者利用者の お世話をしている人の意見は多くは聞いてもらえない。社会福祉法人の特別養護老人ホームにも看護師はいるが医療面で医師を支える専門職だが、日常の介護は 介護福祉士が中心なので朝のミーティングからケース検討会も介護福祉士が中心に展開しているので元気がいい。(この辺が違う)
患者虐待が起きた 病院で保健所を通じて県に対して改善策を提出した。その内容を見たら「目標による管理」「面接制度」を柱に個人面接を強化していくということがメインだっ た。私は驚いた。日頃から民主的な医療の実践を目指している病院だったのに、そんなところしかみていないのかと。そこの療養病棟の男性介護士が当事者だっ たのだが、私が職員にインタビューしても、病棟を超えて介護士の交流や法人内の交流も無いという。病院なので医師や看護師からいろいろ指示されて動いてい る第一人者が、そんなことでいいはずがない。やりがいを維持することも難しい。みんなで話し合える職場づくりや現場職員同士の交流などが欠けていることか ら起こった事としか思えない。少なくとも虐待を未然に防ぐ予防対策として、そのような民主的な職場づくりこそ大切なはずだ。
先に紹介した文章の ように学校において、体育教師が他教科に比べ一段下に見られているような学校という職場では、「負の連鎖」は断ち切れない。まして、大阪で橋下知事・市長 が教育員会制度と学校管理の問題ということで捉えるのも間違いである。教員労組を敵視して攻撃しかしないところで、民主的な職場はできないだろう。

第 二に、広く社会の制度や政治などを含む社会的環境だ。それは、上記に述べた差別やいじめは、根が深く個々の病院や施設の教育などだけに任せるのは無理があ る。社会的な構造こそが問題なのだ。安い医療や福祉・介護を作るために低診療報酬、介護報酬の低さで、若い人が普通には暮らしていけないような賃金体系、 それでも、さらに介護報酬を下げようとしている。
典型的な話として、介護保険施行時には全国に多数作られた介護福祉士の学校は、ここ7年でいっ きに激減したという、それは、せっかく介護に希望をもって就職してもとても普通の生活はできないと離職者が増え、介護の世界へ行く若者が減ってきた。ある 介護福祉士学校の教務に聞いたところによれば、学生募集で高校訪問をしたら、「介護関係専門学校のチラシを置いてら父兄から抗議が来るから」と宣伝する断 られ、もう来ないでくれと言われたという。
社会の中で介護事業がこのようにしか受けとめられていないなかで、片方では外国人介護者の導入に道を開き、アベノミクスによる経済再生政策の中で介護ロボットの開発に力を入れていくという。
若 い人たちが世のために働きたいという思いすら実現できない福祉や介護制度で、なんで「世界一を取り戻す」なんて言えるだろうか。そんな中で、現実に働いて いる人たちのストレスや矛盾が多い。きちんと生活し、福祉や介護に展望が持てる制度を作ることなしに、みんなが生き生きと働ける職場はできない。

一般社会においても、非正規雇用がどんどん増え、今や従事者のうち36%が非正規雇用になっている(今年5月度)。さらに安倍政権は「あらたな正社員」と 称して、正社員も首切りしやすく低賃金の「正社員」をつくろうとしている。当然、企業内においてもいじめやパワーハラスメントなど日常化しているに違いな いし、今後、もっと増大するだろう。

結局、どんな分野・世界であれ、やはり、それぞれの労働者や人間がそれぞれ存在価値があると自覚できて、生き生きと生活できる社会づくりなしに差別やいじめは根絶できない。社会的にはみんな共通していると思う。

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