日記 Diary

私の日記というよりも日々思うことを自由に書いておく「メモ」だと思って気楽にお読みくだされば幸いです。
By Morikawa on 2017/08/21 14:47
 退院して3日、昨晩は義弟夫婦にその娘夫婦、義弟の同級生夫婦(こちらに来てからは私たちが世話になっています)と義弟の娘夫婦の「里帰り」(?)祝いを兼ねてささやかな「退院祝い」をしました。刺身の船盛り、天ぷら、太巻き寿司など、ポロガルワイン(白)、日本酒、ビール、焼酎など(私はほんの少々)で乾杯でした。



昨日は広島カープがさよなら勝ちしましたし、気分は上々、これからぼつぼつの始動しなければと思っています。あちこちにご心配とご迷惑をおかけしましたが、ようやく「人間」に戻ったという感じがしてきていますが、本格的に始動するにはまだまだ心もとないのですが、くれぐれもよろしくお引き回しください。
By Morikawa on 2017/08/18 7:06
今日、急遽退院となりました。というのは土日はリハビリがお休みでほかにすることもないので「退院するか」と主治医に突然昨日の夕方に言われてばたばたと退院の手続きをしました。今回は7月31日に入院し、3週間近くにまで入院生活するとは思っていませんでしたのでなんだか病院生活に疲れました。左頸動脈狭窄で脳梗塞や心筋梗塞のために血管切開手術の方がいいと、主治医に勧められてやったのですが、これで寿命が延びるのだったらまあいいか、くらいの感覚でした。

いざ受けてみてよかったのか、悪かったのか、とにかく最初の手術の後にすぐ再手術と言われた時はもういよいよかなと「覚悟」しただけに今は「命拾い」した思いです。後はこの「命拾い」した命、残りの人生をどう生きて行くかということになりそうですね。
 今日の瀬戸も穏やかです。教え子からのうれしい「メール」に添付で送ったところですが、「退院記念」にHPにもアップすることにします。偶然、昨夕、地元の公民館長と事務局長さんがお見舞いに来てくれたのですが、9月3日の一の谷スポーツクラブ創立20周年記念フォーラムのことなど、進捗状況なども聞けてよかったです。
いつもの見慣れた風景ですが、私には一番心和む穏やかな海に見えます。伊吹島も少し霞んでいますが、9月2日の講師陣との伊吹巡りツアーに期待しています。後は当日の天候だけですが、これは神のみぞ知る、ですべてお天気任せですね。
By Morikawa on 2017/08/17 9:17
今日も瀬戸は凪のようです。朝日に照らされてゆっくりと時間だけが経過していきます。術後の傷を癒すには「時間薬」が必要だとは看護師さんの弁です。右の写真はお隣の愛媛県川之江市の製紙工場の煙突がううすらと見えますか。左の写真はいつもの伊吹島です。

さて、野球好きの人でも張本勲さんのことを知っている人がすくなくなりましたが、彼は広島の出身、被爆者でもあります。その彼が熱く語っています。是非、アクセスしてみてください。
「最後の伝い手として 張本勲さんに聞く」(Web特集)
By Morikawa on 2017/08/15 13:14

今年は1945年8月15日の「敗戦」から72年になります。戦没者慰霊式における安倍首相と天皇の「お言葉」の違いはおわかりでしょうか。短いに中に天皇は「過去を顧み、深い反省」とあったのに対し、安倍首相の「式辞」には反省の文字もなければ「加害責任にも触れず」仕舞いでした。アジア各国がどう見ているか、まったく「忖度」のかけらもない美辞麗句にくくられたつまらない「空疎な」式辞でした。これでアジア各国の人びとのみならず日本国民をも欺くことができると思っているのでしょうか。




今日は瀬戸は薄曇りの夏日です。燧灘もおだやかですが、伊吹島は霞んで見えません。病室の窓の外のベランダに鳩が停まっていたので1枚パチリ、おまけで霞む瀬戸の海です。今日は甲子園もお休みとか、球児には言い休憩になったことでしょう。
 今日も瀬戸は夕焼けでしたが、あまりよく撮れてなかったので夕焼け前の瀬戸・燧灘の光景です。
By Morikawa on 2017/08/13 21:13
今日も瀬戸の夕陽が映えていました。おそらく病室の外は気温が相当に高いのだと思いますが、病棟は26度くらいに設定されているらしく、私の部屋は27~28度を目途に設定しています。この連休中は主治医も居ず、もっぱら高校野球のテレビ観戦に夜はラジオで広島カープの試合中継を楽しむといったところで時間を過ごすのが精一杯です。
  なかにし礼さんの『夜の歌』を詠み終えて少し気が落ちた感じですかね。それほどなかにしさんの『夜の歌』の内容は強烈だったということでしょう。それに比べて鎌田實さんのものは軽く感じるところが不思議ですね。その内容は必ずしも軽い話ではないのですから。いずれも病気からの解放であったり、終末期をいかに生きて行くかと言う深刻なものもあったりするわけですから。
これから少し残された人生の過ごし方を考えて見ようという気になっている所は確かですが、いまのところいつ退院できるのかわからないし、しばらくは時間の経過に任せるしかないと思っています。
By Morikawa on 2017/08/12 15:52
今日も外は暑い事でしょう。なんでも35度越すらしいのですが、病院の中は26度くらいにエアコンが効いていて、部屋も自分でエアコンの温度設定をいじっています。私はいつも家では28度なのですが、ここでは27度から28度を行ったり来たりして保ってます。



というわけでまだ入院生活が続いています。個室なのでわがままし放題ですが、それでも朝は6時前に起床、夜は9時半に消灯、FMラジオをかけながらベッドには一応横になるのですが寝疲れず、寝るに任せています。ラジオ深夜便を聴くのが楽しみだったのですが、3時過ぎの日本の歌心の歌がなかなか途中まで聴いているのかいないのか、わからず仕舞いです。
By Morikawa on 2017/08/11 19:11
今日は「山の日」なのですが、またまた瀬戸の夕陽です。今日は日中もよく晴れていて夕陽が美しく生えていました。「山の日」は昨年から施行されたそうですが、なんでも「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」のだそうです。特に何か山の日に関して記念になる来歴とかがあるわけではないのですが、たまたま8月12日だと日航機墜落事件(1985年8月12日、群馬県の御巣鷹山に墜落)を記念する日になるので都合が悪いという議論からお盆の連休との兼ね合いで11日にしただけだそうです。



山と言えばこれも以前に書いたことがありますが、最初に赴任した大阪の高校(6年間)時代には夏休み入る日に大阪駅から生徒達と例年「登山教室」ツアーに入ったものです。最初の年は金澤から白山に登り、お花畑で高山植物に魅せられたものです。翌年からは北アルプス中心に槍ヶ岳や剣岳、雲の平、立山から針ノ木峠、蓮華岳など、ベテランの先輩教師に引率してもらっていつしか自分も登山のイロハを獲得したような錯覚に陥りましたね。
By Morikawa on 2017/08/10 19:39
 今日は久しぶりに瀬戸の夕陽が見えました。伊吹島もよく写っています。もう少し陽が沈むところを粘ったのですが、やはり雲にさえぎられて残念ながらだめでした。
ところで昨日の長崎で安倍首相は「あなたはどこの国総理ですか」と迫られていたのですね。迫ったのは長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長の川野浩一さん(77歳)です。ようぞ言ったりと思わず拍手を送りたくなります。それに対して安倍首相は能面の顔のようにして押し黙ったままでした。
  そういえば昨日の「永田町徒然草」でも白川勝彦さんが、「晋三君よ、嘘で凝り固めようとしてそりゃ無理だぜ」とよびかけています。もういい加減にして欲しい。いくらなんでもいつまで嘘をつづけていても支持率は下がるばかりで、上ることは無いのだと、言う人はいないのでしょうか、「もう駄目だよ。安倍君。」
By Morikawa on 2017/08/09 15:27
今日の朝、長崎市長・田上富久氏の「平和宣言」では国連で7月で採択された「核兵器禁止条約」にふれて、「交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と、政府に訴えたという。



その言や良し。「ノーモア ヒバクシャ」で始まるこの「平和宣言」はまさに必読ですね。
By Morikawa on 2017/08/08 22:12
先月31日に入院して早や1週間が過ぎています。ようやく手術後の傷跡も落ち着いたようで左首のテープが小さくなったようです。ですからだんだんと「象の首」から「人間の首」に戻ったということでしょうか。戻ったといえば病室が元の海が見える部屋に戻らされました(ということはナースステーションから離れたということですから監視がゆるくなったということですかね)。

 この辺りは豊浜(海岸)といってもうすぐ愛媛県川之江市との境になります。国道11号線が高松から松山に向かっている途中ということになります。川之江には「成都」と言う名の中華料理店があり、2度ばかりランチタイムに行ったことがります。退院したら是非行ってみたいレストランの一つです。イタリアンも行きたいし、で食欲だけは旺盛です。「高血圧1600カロリー食」ですからまさに完食ですね。やっと点滴用の注射針も無し、右手も左手も自由になったとたんに 歩く範囲が広がり、朝は1階のコンビニに新聞を買いに行くのが楽しみであり、昼からはおやつのゼリーなどを買いに行くと言う事になります。

なかにし礼さんの『夜の歌』も後半に入りました。同じ旧満州からの引き揚げでも私たちみたいに大連と言う港の傍に居たものとハルピン(松花江の傍で旧ソ連と湖をはさんで国境があります)と、さらに牡丹江という奥地に居た人たちの悲惨さはすさまじい差があります。関東軍に見捨てられ、日本国にも満州国にも見捨てられて寒さと飢えとの戦いだけでなくソ連兵の攻撃や中国人の攻撃にもほぼ無防備でからここではまさに筆舌にし難いものがあります。つい最近ですが、開拓村が集団自決したところと全員が引揚げてきたところtのちがいがこちらの新聞に出ていました。若い女性をソ連兵に差し出して「助かった」ということを70年隠してきたのですが、90いくつかの人が語り出したそうです。その辺のことはなかにし礼さんの『夜の歌』にも出てきます。読み進めるのが辛くなる時がありますね。
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